発生年月日 |
名称 |
気象概要 |
被害の概要 |
明治20年10月8日
(1887年) |
台風 |
8日朝、台風が紀州沖合を東進のため全県下強風 |
3日間の降水量
妙寺で406.1mm |
明治22年8月20日
(1889年) |
低気圧 |
8月20日午前3時頃から西南風が強く吹き、711mbの低気圧に風速40mをともなって県下に襲来した。雨は9月7日まで降り続いた |
旧西和佐の岩橋堤防、川永村楠本の西南堤防及び上流の新在家堤防が決潰した。その他紀の川支流は悉く氾濫し、紀の川両岸の諸町村全て浸水した。東は那賀地方、南は紀三井寺、北は葛城山麓に沿った諸村及び西は加太町に至るまで、殆ど高地を残したのみで他は水中に没した。家屋の浸水は6昼夜に及び、軒まで水中に没した処が多く、屋内は泥を堆積し、稲等の収穫は皆無に帰した。被害状況を詳記すると次の通りである。
全県下被害状況 |
浸水町村数 |
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2ヶ町178村 |
流失家屋 |
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3,675戸 |
浸水家屋 |
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33,081戸 |
倒壊家屋 |
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1,524戸 |
半倒壊家屋 |
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2,344戸 |
死亡人 |
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1,247 |
橋梁流失 |
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931 |
船舶流失 |
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247雙 |
死亡牛馬 |
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227頭 |
耕宅地流失 |
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7,000町歩 |
堤防決潰 |
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1,072ヶ所 |
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明治22年9月11日
(1889年) |
暴風雨 |
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紀の川増水、前水害の復旧が完成しない時のことだったので被害が多かった |
明治25年6~7月
(1892年) |
多雨 |
雨天日数30~40日、総雨量和歌山で625.2mm |
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明治26年8月17日
(1893年) |
暴風雨 |
全県下暴風雨 |
死者33名、流亡倒壌家屋2,400棟、その他の被害甚大であった |
明治29年8月30日
(1896年) |
台風 |
台風県中部に上陸し、東進する |
暴風雨で各河川大洪水、高潮で被害続出、紀の川の北岸の村落浸水6昼夜半、耕地浸水10日間 |
明治29年9月3日
~11日(1896年) |
霖雨 |
連日降雨 |
各河川の出水被害(前月末と合わせて)死者13名、行方不明7名、家屋全壌902戸、半壊1,024戸等、被害甚大 |
明治29年9月30日
(1896年) |
暴風雨 |
午後から暴風が起る |
紀の川が増水し、31日午前9時頃に至って、紀の川の北岸の海草郡有功村堤防及び鳴龍川堤2ヶ所が決潰した。有功村から加太に至る地域はことごとく浸水し、低地にある処は床上3.4尺まで水に浸り、最も激しかったのは、紀伊村中洲附近で軒先まで水中に浸った |
大正元年9月23日
(1912年) |
台風 |
9月21日から22日に亘って未曾有の暴風雨が襲来し、台風が946mb気圧をともなって、本県を通過した |
死者 |
17名 |
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傷害者 |
6名 |
家屋全潰 |
84戸 |
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半潰家屋 |
168戸 |
船舶流失 |
194雙 |
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船舶破損 |
243雙 |
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