発生年月日 |
名称 |
気象概要 |
被害の概要 |
昭和34年9月26日
(1959年) |
伊勢湾
台風 |
26日18時頃潮岬西方10km付近に上陸し、紀伊半島を北北東に縦断した。降雨は紀の川上流山岳地帯に集中し人之波で118mm/hを記録した。 |
被害は甚大であり、死者17名、負傷者56名、全半壊2,321棟、浸水8,044棟の被害を出した。紀の川の最大流量は5,870m3/sを記録した。 |
昭和35年6月21日
~22日(1960年 |
豪雨 |
21日夕刻より22日にかけて蒙雨 |
和歌山・海南市を中心とした紀北一体と御坊市を中心とした日高郡に多少の被害あり。ただし氾濫はまぬがれた |
昭和35年9月1日
(1960年) |
台風
16号 |
台風の接近に伴い紀の川上流では27日より降り始め平均350mm、下流部で平均80mmの降雨があった |
風雨により被害はなく、工事個所に於いて僅かな被害と手戻り個所が生じた |
昭和36年6月24日
~29日(1961年) |
台風6号 |
梅雨全線並びに6号による集中豪雨が紀北地方を中心にみまわれた |
各河川は至るところで氾濫し、全県的に被害を受ける。被害額約16億5千万円 |
昭和36年9月16日
(1961年) |
第二室戸
台風 |
超A級の台風で瞬間最大風速56.7m/s、平均最大風速35m/sで雨よりも風による被害が大きかった |
死者15人、行方不明1人、負傷者316名家屋被害120,713戸、農作物被害面積33,715haとなった。 |
昭和36年10月27日
(1961年) |
前線豪雨 |
27日夜から28日朝にかけて豪雨があり、大台ヶ原では記録的な1,233mmの総雨量があった。 |
死者15名、負傷者316名であった |
昭和37年7月27日
(1962年) |
台風7号 |
雨量は迫417mm、橋本117mmを記録し、紀の川の水位は中流域で警戒水位を超え上市で2,280m3/sの洪水となった。 |
県下の被害は死者4名、建物被害1,278戸、田畑被害2,287ha等であった |
昭和39年9月22日
(1964年) |
台風
20号 |
紀の川流域の雨量は少なく大台ヶ原の総雨量は202mmであった。 |
被害は強風によるものが多く、特に農作物の被害が多かった。 |
昭和40年9月8日
(1965年) |
台風
23号 |
総雨量は大台ヶ原267mm、橋本85mm、和歌山52mmで、紀の川の最高水位
は三谷で警戒水位を僅かに越えた。 |
被害は、紀の川筋の和歌山県側で負傷者7名、建物浸水ll7戸であった。 |
昭和40年9月16日
(1965年) |
台風
24号 |
総雨量は大台ヶ原439mm、橋本157mm、和歌山139mmと多く、紀の川の中流から上流にかけて警戒水位に達した。 |
紀の川筋の被害は、死者3名、建物浸水794戸、田畑流冠水978ha、橋梁流出7ヶ所等であった。 |
昭和43年7月27日
(1968年) |
台風4号 |
雨量は紀伊半島の南部から中部山岳に多く、総雨量は大豆生367mm、大台ヶ原1,460mmとなった。紀の川の水位は橋本で警戒水位となった。 |
紀の川直轄災害は、中流部から上流で10ヶ所の護岸崩壊等の被害となった。県下一般
では負傷者2名、建物被害450戸、田畑完遂436ha等の被害であった。 |