国土交通省 近畿地方整備局

和歌山河川国道事務所


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2.江戸時代

発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
慶長10年8月
(1605年)
  山陽及び南海諸国に大雨があって被害をうけた  
慶長11年9月1日
(1606年)
暴風雨 四国・中国・近畿・東海の諸道大風雨  
慶長18年8月26日
(1613年)
暴風雨 紀伊・駿河諸国大風雨  
慶長19年5月12日
(1614年)
大雨 近畿・東海道大雨、洪水  
寛永6年
(1629年)
  畿内に大水があった 宇治橋、淀大橋、堺の大和橋を流し、平等院前の13層の大石塔が壊れ、大阪北辺及び和歌山の両府県にわたって水害をうけた
承応2年6月6日
(1653年)
暴風雨   男女27人溺死、家屋の破壊等被害が多大
明暦元年8月28日
(1655年)
暴風雨   民家2千余、堤1万間、流失木材7万本
万治3年9月20日
(1660年)
暴風雨 四国・近畿東海・関東の諸国大風雨  
寛文10年8月25日
(1670年)
暴風雨 摂津・播磨、諸国大風雨、高潮 山鹿素行の「続史愚抄」に暴風・高潮、大阪砂船7,323隻、死者2,143人とあり、紀伊国も風雨高潮があったと想像される
延宝2年8月16日
(1674年)
暴風雨 全国大風雨、洪水  
延宝4年7月4日
(1676年)
暴風雨 四国・近畿・東海・関東諸国大風雨洪水  
延宝6年8月4日
(1678年)
暴風雨 九州・四国・近畿・東海道大風雨、洪水  
貞享3年7月25日
(1686年)
暴風雨 四国・中国・近畿・中部・関東諸国風雨、洪水  
貞享4年9月9日
(1687年)
暴風雨 四国・近畿・中部・関東諸国風雨、洪水  
宝永4年5月1日
(1707年)
  紀の川が決壊して害を出した  
宝永4年7月19日
(1707年)
  紀の川が決壊して害を出した  
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
宝永4年8月19日
(1707年)
暴風雨 大風  
宝永4年9月12日
(1707年)
暴風雨 紀伊・讃岐・備前・武蔵・越中諸国大風雨、洪水  
宝永4年10月4日
(1707年)
大地震
津波
五畿七道大地震、大津波が起こる 全国を通じて死者4,900人、潰家29,000戸、本県の被害甚大
宝永6年7月4日
(1709年)
大風 畿内諸国に大風が起る 民家多く倒れる
正徳3年8月23日
(1713年)
暴風雨   紀の川洪水、浸水一昼夜、堤防破れる
享保2年6月2日
(1717年)
    紀伊国洪水
享保6年7月15日
(1721年)
暴風雨 近畿・四国・中部・関東の諸国大風雨洪水  
享保7年8月14日
(1722年)
暴風雨
津波
近畿・東海道大風雨 尾張・伊勢・志摩・紀伊津波襲来、家屋流失し、死者を出す
享保13年7月8日
(1728年)
暴風雨 近畿・東海道諸国大風雨、洪水  
享保15年7月6日
(1730年)
    紀の川洪水、田辺大水で町内浸水
享保17年
(1732年)
陽暦 6月21日
霖雨 霖雨があって、西海、山陽、南海及び畿内の諸国に洪水があった 紀の国も浸水の被害をうけて損害高は26,416石余、堤の破損及び大小川筋の道路等46,050余間、井堰、井溝が破損並びに流失したもの4,944余ケ所、樹木の倒壊3,512本、船の破損流失したもの廻船、通船、河船共に82艘、材木流失10,000余束、柴流失2,450余荷、溺死8人に及んだ
享保20年6月22日
(1735年)
暴風雨 近畿、関東諸国大風雨、洪水  
元文5年6月9日
(1740年)
暴風雨 近畿大雨、洪水  
宝歴6年10月9日
(1756年)
  若山(和歌山)に暴風大雨が襲った 紀の川が増水氾濫して附近の人家の浸水3.4尺乃至5.6尺に達し城下にまで浸水した。橋梁の流失、家屋の倒漬、溺死した者多く、水難者に金2,205両、銀28貫9百メ、町在へ米500俵支給された
宝歴13年9月3日
(1763年)
暴風雨 近畿・北陸・関東の諸国大雨 紀州海岸も風雨強く破船あり、高潮を伴った
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
明和2年7月3日
(1765年)
陽暦 8月19日
暴風雨 畿内及び諸国に大風雨が起って本国の被害が多かった 続年代皇略記には「7月3日畿内・近江・伊勢・紀伊・播磨其余諸国ニ大風雨アリ」とある
明和5年7月2日
(1768年)
暴風雨 近畿・四国・山陰の諸国大雨洪水  
安永元年8月20日
(1772年)
暴風雨 四国・近畿・東海の諸国大風雨、洪水 讃岐災異年表に家屋崩壊19,000余戸、破船大小142隻、死者46人、牛馬47頭、紀伊にも被害があったと予想される
安永8年7月23日
(1779年)
暴風雨 五畿内、大風雨洪水  
天明元年7月21日
(1781年)
暴風雨 五畿内外大風雨 木を抜き家屋を倒す
天明2年2月3日
(1782年)
暴風雨 五畿内大風雨  
天明7年9月6日
(1787年)
  紀の川洪水  
享和3年6月5日
(1803年)
大雨 5、6日大雨大洪水 諸国地大いに荒れ数知れず、家屋流れ人死ぬ
文化3年5月11日
(1806年)
    紀の川が決壊し洪水が起る
文化5年7月25日
(1808年)
陽暦 9月15日
暴風雨 25日大風雨が襲う 紀伊和歌浦等の通船が転覆したので溺死者が多く出た
文化12年6月27日
(1815年)
    海草郡東方の紀の川の堤が数100間に及んで決潰した。紀の川北岸は浸水の被害甚だしく田畑は溝となり、或は砂山と化したもの数100反に及び、又紀の川堤の福島及び鳴龍川並びに海草郡山口村の紀の川堤も同時刻に決潰した
8月4日
(1821年)
大風雨 大風雨 紀の川洪水
4月16日
(1825年)
暴風雨 南紀大風雨 御祭礼、御旅所、御仮座吹倒れる
8月13日
(1825年)
  紀の川洪水  
7月18日
(1829年)
暴風雨 紀伊・讃岐・中国、大風雨洪水  
発生年月日 名称 気象概要 被害の概要
弘化3年7月7日
(1846年)
    7月8日若山近在大水、紀の川出水一丈七尺
嘉永元年8月12日
(1848年)
陽暦 9月9日
暴風雨 12日夜から13日朝にかけて大風雨が襲来した 13日朝方通称紀の川“上やり”といわれる処の堤防が決潰し、和歌山市内は濁流の中に浸かった。そのため北新町辺は床上より水量3尺に及んで、市中の橋梁は殆ど流落又は大損を被った。又大川橋に流れ着く死体は数を知らない程だった
安政2年8月20日
(1855年)
暴風雨 20日朝から大雨に見舞われた 紀の川は増水して栗林八幡(今の岩橋)において常水位より6尺増水、市内の人家に浸水した。又鍛治屋橋中央7間程と新留町小橋が流失した
安政4年7月1日
(1857年)
暴風雨 近畿・四国に大風雨、洪水  
慶応2年8月7日
(1866年)
暴風雨 紀北、紀南とも大風雨 紀の川が増水した為に沿岸附近の村落は被害を受けた。鳴龍川堤防2ヶ所決潰し、その内の1ヶ所は上がえぐり取られる程であって、民家の浸水は一昼夜床上まで続き家屋や農作物の被害は大きかった

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