平城京とは?

平城京は、今から1300年ほど前に現在の奈良市につくられた都です。平城京を中心に、律令国家としてのしくみが完成し、天平文化が花開きました。平城京を中心とした74年間は、奈良時代と呼ばれています。

本格的な中国様式の都

平城京ができたのは西暦710年。元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、それまでの都だった藤原京から遷都し、新しい大規模な都をつくりました。平城京のモデルとしたのは、その頃もっとも文化の進んでいた唐(中国)の長安という都でした。

東西約4.3km、南北約4.8kmの長方形の東側に東西約1.6km、南北約2.1kmの外京を加えた総面積は約2,500ヘクタール。都の南端にある羅城門から朱雀門までまっすぐにのびるメインストリート・朱雀大路は幅約74m。道路というより広場と呼びたくなる広さです。この朱雀大路の西側を右京、東側を左京といいます。碁盤の目のように整然と区画されたスケールの大きな都には10万人以上の人が暮らしていたといわれています。

【平城京 図】

平城京の図

図出典:奈良文化財研究所

【平城京 写真】

平城京の航空写真

平成30年撮影

■都の中心は、平城宮

広域位置図

平城宮の中心は、政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇のすまいである内裏、役所の日常的業務を行う官衙や宴会を行う庭園など、都を治める官公庁が集まった平城宮でした。東西・南北ともに1 kmの東側に、東西250m,南北750mの張り出し部を持つ平城宮の周りには大垣がめぐらされ、朱雀門をはじめ12の門が置かれました。平城宮に入ることができたのは、皇族や貴族、役人や使用人など、ごく限られた人々でした。

現在、特別史跡として、世界遺産を構成するひとつとして、だれもが自由に散策を楽しめる平城宮跡。奈良時代の姿を思い浮かべながら、歴史のロマンを感じ取ってください。

■なぜ? ふたつの大極殿

大極殿は、天皇の即位などの大切な儀式がおこなわれていた場所です。平城宮にはこの大極殿の跡が2つも残っています。なぜでしょう?
聖武天皇は740年から745年まで、現在の京都、大阪、滋賀と、都を転々と移し替えたのですが、その際それまであった大極殿をあわせて解体、移築しました。745年には再び平城京を都としましたが、このときには以前の大極殿があった東側に新しい大極殿を建てたのです。
現在の平城宮跡にみられる「第一次大極殿」は元明天皇が建てた大極殿、「第二次大極殿」は聖武天皇が建てた大極殿です。

■奈良時代前半の平城宮

奈良時代前半の平城宮のイメージ図

図出典:奈良文化財研究所

■奈良時代後半の平城宮

奈良時代後半の平城宮のイメージ図

図出典:奈良文化財研究所