国土交通省 近畿地方整備局

和歌山河川国道事務所


ホーム > 知る・歴史 > 紀の川のむかし> 紀の川流域の地形 紀の川の河道変遷


2.紀の川の河道変遷(図13)
図
紀の川の河道変遷図
 現在の紀の川は、ほぼ直線的に西流し、和歌山市の湊付近で海に注いでいる。しかし、昔からそこに河口があったわけではない。紀の川の変遷をたどると、縄文前期頃(約5,000~6,000年前)の海面は現在より高かったため、和歌山平野の大半が浅海底となり、紀の川河口は和歌山市の岩橋山地の北側付近にあった。その後、和歌山平野は海面の低下・紀の川の沖積作用によって陸化していった。
 古墳時代から平安時代の主流は、楠見付近から西へ土人川・和歌川の川筋を流れ、和歌浦へ注いでいた。11世紀ころ、紀の川は洪水時に主流を水軒川に変え、大浦へ注ぐようになった。その後、15世紀末の明応4年(1495)の地震・津波によって、紀の川は海岸の砂丘を突破し、ほぼ現在の流路の位置になった。
 それから明治初期までの紀の川は、ほぼ自然の状態で網状に分流し、川幅はもっと狭く曲流していたが、その後の近代的な河川改修によって、河道は一本化・直線化・拡幅され、高い連続堤防が築かれて、自然の河川景観はみられなくなった(仮製地形図参照)。
 このように和歌山平野は、紀の川が左右にまんべんなく流れ、洪水時に土砂を堆積させてできた低地であることがわかる。紀の川は、和歌山の母なる川と呼ぶにふさわしい河川といえよう。

■参考文献
  • 寒川旭(1976)「紀の川流域の地形形成と地殻変動」MTL1
  • 岡田篤正・寒川旭(1976)「和泉山脈南麓域における中央構造線の断層変位地形と断層連動」
  • 地理学評論51-1
  • 寒川旭(1977)「紀ノ川中流域の地形発達と地殻変動」地理学評論52-10
  • 日下雅義(1980)「紀ノ川の河道と海岸線の変化」『歴史時代の地形環境』古今書院
  • 額田雅裕(1987)「太田城付近の地形環境」和歌山市立博物館研究紀要2
  • 額田雅裕(1988)「和泉山脈と和歌山平野」和歌山地理8
  • 額田雅裕(1994)「井上本荘の絵図とその地形環境」和歌山市立博物館研究紀要9

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