当時の生田川は、布引で地下水路に入るように流れていました。その地下水路入口を流されてきた土砂や流木がふさぎます。その積もった土砂は約6mにもなりました。行き場を失った濁流は、布引町から加納町通に向けて流れ出しました。このため、加納町付近を中心に広範囲に渡って大浸水を引き起こしました。
JR三ノ宮駅構内には水が溢れ、地下の阪神三宮駅では、線路上に1mほどの砂と大量の水が流れ込みました。駅前にも大量の砂が溜まり、周辺の路面電車の線路は埋没、市バスも土砂に埋もれ、神戸市の中心市街地に大きな被害をもたらしました。