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第2回 紀の川流域委員会準備会議
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国土交通省近畿地方整備局 |
3.議事 /3-1 紀の川流域の概要 | |
3.議事 | |
3-1 紀の川流域の概要 | |
○ | 司会 |
ただいまより、議事に入らせていただきたいと思います。中川議長よろしくお願いいたします。 |
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○ | 中川議長 |
お配りした議事次第に従いまして議事を進行させていただきます。 まず、「紀の川流域の概要」は、各委員の先生方も含めご理解をあらかじめいただいておきたいという趣旨で、第1回準備会議でご説明いただく予定でしたが、時間の関係で説明ができませんでした。従いまして、まず最初に、河川管理者からご説明を仰ぎたいと思います。それではお願いいたします。 |
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○ | 平出和歌山工事事務所長 |
それでは、お手元の資料に基づきましてご説明いたしますが、「資料-2」と同じものを前方のプロジェクターで写しますので前方を参照していただければ結構かと思います。 ( projector.No. 1「紀の川流域の概要」)まず、紀の川流域の概要でございます。日本最多雨地帯として名高い大台ヶ原を水源とした流域でございます。ここが大台ヶ原でございます。大和丹生川、紀伊丹生川、貴志川といった支川を集めながら紀伊水道に注いでいます。流域面積は1,750km2でございます。流域面積と言いますのは、この範囲に降った雨が集まる範囲を示したものでございまして、この図面で言えば緑のラインで示したものがその流域になります。幹川流路延長136km、河川の本川を測っていくと、上流まで136kmあるという意味でございます。 行政界としましては、奈良県、和歌山県の2県にまたがっているということ。流域内の市町村で見ますと、和歌山市、橋本市、奈良県側の五條市、海南市の一部が流域に入っているということでございます。5市17町5村でございます。 流域内の人口は約69万人ございまして、和歌山県、奈良県を分けますと、60万人と9万人という内訳になります。ちなみに、和歌山県の人口は108万人ぐらいですので、60万人と申しますと、5割強ということでございます。面積的に見れば、和歌山県のうち流域に相当する面積は2割弱ぐらいですが、2割弱のエリアに県の半分以上の人口が集中しているという状況でございます。 ( projector.No. 2「降雨特性」)降雨特性を記載しております。河川の話ですので雨の話がかかわるということで多少ご紹介しておりますが、一番上は気温のことを書いております。中・下流部は瀬戸内気候区ということで温暖な地帯でありますけれども、高野山あるいは吉野地方は山地部になりますので、平均気温が10℃前後で寒さが厳しい地帯でございます。 年間平均降水量は中流部及び下流部で約1,630mm、上流部で2,640mm、全体を平均しますと2,020mmとなってございます。かなり多いほうになろうかと思います。 河川管理者が出水期というのを設けておりまして、6〜10月になるわけですが、この間の降水は約1,280mmですので、年間のうち約6割がこの時期に集中して降るということでございます。降水の原因は台風に起因するものが大半で、65%でございます。ちなみに、日本最多雨地帯の大台ヶ原は数字で申し上げれば4,343mmで、数字の上でも非常に多いことがおわかりいただけるかと思います。 ( projector.No. 3「紀の川下流部の変遷」)これは紀の川下流部の変遷で、太古の昔から紀の川の河口部はどういうふうに変遷してきたかを表現しております。非常に昔の話ですので、今とはかなり形が変わっております。(1)の絵は2,000〜2,500年前(紀元前)の話になりますが、薄く描いておりますのが現在の地形でございます。これが現在の紀の川の河道でございまして、このあたりがお城になります。つまり、今はこのあたり全部が和歌山市内ですが、昔は島状にあっただけで、どこまでが川なのか海なのかわからないような状態です。昔は海面が高いと言いますか、日本列島が低いという位置関係にございましたのでこういう形になっていたようでございます。 (2)の絵は1,000〜1,500年前ですが、川の中にこういう島が幾つか出てきた時代があったようでございます。今でも地名に北島ですとか福島という名前が残っておりますが、そういう名前の由来かなと考えられます。今と大体同じような位置にあった頃でございます。 (3)の絵が400〜500年前で、江戸に入るかどうかという時代かと思います。大きく2つに分かれているようでございまして、今の河道に割と近い北側のラインと、もう一つ、今は和歌川という川になっておりますけれども市内を縦断するような格好で、紀三井寺の方に向かって流れていた時代もあったようでございます。 (4)の現在は、南の方はなくなっておりまして、北の方に真っ直ぐ抜けるという変遷をたどっております。川から運んで来られた堆積物で、もともと海だったところが陸地化してきたということかと思います。まさしく“母なる川”という表現がふさわしいのかなと考えられます。 ( projector.No. 4「紀の川の災害史」)次は災害史ということで、昔にどのような災害があったのかを記録から調べてみました。「和歌山県災害史」という本がありますけれども、そこに記載されているものでございます。701年、大宝律令と覚えた記憶がありますが、そういう時代に、『続日本紀』には紀伊ノ国の被害について記載されています。紀伊ノ国も広うございまして、どの範囲を指すのかというのは不明ですが、歴史に残るものとしてはこういうものが一番古い記録でございます。 1756年(宝暦)の時代には、紀の川が増水して城下の人家の浸水が5.6尺(約1.7m)にも達したという記録がございます。 明治に入って1889年は、絵を見ていただければ一目瞭然ですが、ここがお城で、今で言う宇治のあたりから中の方まで浸水したという記録が残っております。死者が1,247人、流出家屋が3,675戸と、大変大きな被害を受けた記録がございます。 大正にも台風によって死者が17名という災害を受けた記録があるようでございます。 ( projector.No. 5「紀の川治水史」)昔から災害に悩まされてきたこともありまして、治水事業が徳川時代以降、かなり一生懸命されていたという記録がございます。徳川時代、初代藩主、頼宣時代の築堤で、現在でも幾つか名前なり形が残っているものがございます。柳堤は、いつの時代の写真かは明確ではないんですが、走っている車から見てかなり昔の写真だと思いますけれども、いまの嘉家作付近から地蔵の辻付近まで堤防がつくられたというもの。松原堤は、堤防の両側に松並木を植えて洪水の流入を防いだと伝えられております。あるいは上流のほうへいきますと、かつらぎ町に千間堤といって長さ350mにわたって築堤されたものが今も残っております。 ( projector.No. 6「過去の主要洪水」)洪水について、昭和に入ってからですが、どれぐらいの頻度で起きているのかというのをイメージとしてとらえていただくためにつくったものでございます。棒グラフの縦軸は流量で、左側に目盛りをふっております。このあたりになりますが船戸というところでの流量を示したものでございます。一概に規則性があるわけではございませんので難しいのですけれども、5,6年に1回ぐらいの頻度で相当な流量が観測されております。ここの地図に赤い×で示しておりますのが昭和28年に破堤した、堤防が切れて水があふれ出た災害があった地点です。○印は昭和34年、伊勢湾台風のときに、こういう箇所で破堤してしまったという記録が残ってございます。 ( projector.No. 7「過去の主要洪水」)これは、今、ご紹介したときの写真ですが、昭和28年の台風で死者4名、行方不明1名、負傷者75名、全壊222 云々とありますように、大変な災害を受けております。写真が見にくくて申し訳ないんですが、橋が流出し、なくなっている様子が、よく見ればわかる写真でございます。 あとは、伊勢湾台風、昭和34年です。これは川上村での山津波の写真ですが、もともとの集落がどういう格好だったのかもわからないぐらい、ぐちゃぐちゃになってしまっているような写真でございます。 ( projector.No. 8「新聞記事」)もうちょっと新しい別のものを新聞記事で追いかけました。昭和40年の台風24号で、床上浸水398戸でございます。 右側は昭和47年、これは台風20号、床上浸水22戸、床下浸水2,362戸です。ご紹介したように、台風で相当な被害を何度も受けてきていることがおわかりいただけるかと思います。 ( projector.No. 9「昭和57年台風10号・平成2年台風10号」)これももう少し最近の写真を集めてみました。昭和57年の台風10号ですが、こちらが紀の川で、紀の川に水がはけないので内水となって水が溜まってしまったということでございます。真ん中に横たわって写っているのが高速道路で、その高速道路の東西の直川地区が内水被害を受けております。 平成2年は台風10号でございます。床上浸水5戸、床下浸水95戸でございます。川の中の写真を撮ってございます。高水敷をゴルフ場として利用されているんですけれども、そこが水没している様子がおわかりいただけようかと思います。 ( projector.No.10「近年の渇水被害」)水が多いのにも悩まされるわけですが、一方で水が少ないということでも困ることがあります。渇水についても大変なことが何回か起きています。最近のものをあたってみますと、平成6年の渇水において紀の川で30%の取水制限を行っております。このため不規則な断水が起きたり、農作物の被害が約27億円というような記録がございます。完全に水が切れてしまっているのがおわかりいただけようかと思います。 右側は平成7年の新聞記事ですが、「紀の川渇水ピンチ」ということで取水制限、上水道は約15%の取水制限を行っております。ちなみに、農業用水は30%の取水制限を行いまして、結果、農作物の生育不良にもつながったようでございます。 ( projector.No.11「利水状況」)利水の状況がどうなっているかということを模式的にあらわしたものでございます。上の絵は紀の川とそれに関連するダムの絵を描いてございます。一つミスがございまして、実はこのあたりの大和丹生川の支川に一の木ダムというダムがもう一つございます。これは農水のダムなのですけれども、この絵からは落ちてしまっておりますので、その点をご容赦願いたいと思います。 奈良県、和歌山県別にかんがい期と非かんがい期に分けて、どういう用途で水を使っているかということを表現しております。まず、和歌山県からいきますと、かんがい期には50m3/sの水を取っておりますが、そのうちの8割強は農業用水という使われ方をしております。非かんがい期は13m3/sぐらい取っているんですが、約半分が工業用水、残りの半分弱が農業用水、上水が10%という利用形態でございます。奈良県の方は、上水と農水ばかりでございまして、かんがい期は9割が農業用水、非かんがい期は7割が農業用水という割合になっております。ただ、これは許可されている水量でのグラフですので、実態は必ずこのとおりかというと、それは時と場合によっていろいろ変わるということでございます。 最後に、ここに紀の川大堰がございますが、いま工事中でございまして、大阪方面に絵が描いております。これは現状で取っているという意味ではありませんで、大堰が完成すれば取る予定になっているということで描いてあるわけでございます。 ( projector.No.12「流域で見られる主な生物(紀の川直轄区間内)」)自然環境の関係の話にいきますけれども、これだけの河川ですので本当にいろいろな、たくさんの生物がいます。これは紀の川の直轄管理区間ですから河口から60kmあまり五條市までの間で観測されるものを幾つか取り上げてございます。字が読みにくくて申し訳ありませんが、お手元の資料を見ていただければもう少し鮮明になります。ちょっと読みにくいところもあるのですが、こういったネズミですとか、タイワンヒライソモドキというカニ、アユ、シオマネキなんかもいます。広葉樹の常緑樹が船岡山にあるのですが、そういうものの写真でございます。 ( projector.No.13「流域で見られる主な生物(大滝ダム直轄区間内)」)これは一番上流部になります。今、大滝ダムの工事を行っておりますが、その区間内に生息するものでございます。写真が全然、見えなくて、お手元の写真を見ていただくしかないんですけれども、これはブチサンショウウオです。非常に小さなもののようです。カジカガエル、あとは見にくいので省略したいと思います。 ( projector.No.14「流域で見られる主な生物(紀伊丹生川ダム直轄区間内)」)もう一つ、紀伊丹生川ダムの調査をいま進めているところですけれども、そういうところで見られる動植物関係を幾つか紹介しております。今回、紹介したものに限らずこれ以外のものも当然たくさんいるわけで、こういう事柄も念頭に置きながら、今後、河川管理事業を進めていく必要があるという意識をもっているところでございます。 ( projector.No.15「流域で実施している主な事業」)次に、今、流域で実施している主な事業について簡単にご紹介させていただきます。当然、堤防がないところには堤防を造るという事業が中心になりますけれども、河川改修という区分けで行っております。いろいろとやらなければいけないところはたくさんあるのですが、平成11〜12年の最近のものを取り上げてみますと、○印を付けたところで堤防を造る、あるいは堤防を造るときに流れ込んでいる川を処理しないといけませんので、関連して樋門を造って堤防を造るというような事業を行っているところでございます。 ちなみに、この図面を簡単に説明しますと、○を付けたのが今の説明ですが、緑の線で示しておりますのが堤防が完成しているところでございます。黄色が暫定堤と書いてあります。堤防としては一応あるのですけれども、まだ完成形の大きさになっていない。高さなり、幅なりがまだ不足しているのが黄色の区間でございます。赤いところが未施工で、堤防がない、堤防で締め切られていないところを示しております。 これを数字で申し上げれば、整備率という言葉があります。これは堤防をつくらなければいけない範囲のうち、どれだけできているかという指標ですが、11年度末で約76%という数字になっております。 ( projector.No.16「紀の川大堰」)これは紀の川大堰の事業でございます。紀の川の下流部(河口から6kmあまり上流側)で堰事業を行っております。現在、新六ヶ井堰という固定堰がございますが、これが洪水時には流下の阻害になるものですから、これを取って、計画高水流量である1万2000m3/sを流下させるために可動堰を造るという事業でございます。 また、あわせて、先ほど利水のところで大阪方面に絵が描いてありましたが、大阪への取水を可能にするための容量も確保するという事業でございます。この写真はあまり新しくないのですけれど、現在、堰本体はゲートも全部、設置されまして、おおよその形ができてきております。これは下流側から写しているんですが、川は上流から下流に向かって右岸、左岸と呼んでおりますので、右左が逆になってしまいますけれども、これは左岸側にあたりますが堰で川を締め切るものですから魚の遡上に影響がないように魚道をつくっております。今、このあたりで工事が中心的な内容になっております。今のペースで順調に進めば、平成14年度には堰本体は完成するというペースで進んでおりまして、その時点でゲートを下ろすことができるように目標をもって進めているところでございます。 ( projector.No.17「大滝ダム」)これは川上村に造られている大滝ダムでございます。昨年10月の写真ですが、見ていただければおわかりのように、ほぼ形が想像できるぐらいの状況にまでなってきております。これも一番上にありますように計画高水流量5,400m3/sのうちの2,700m3/sの洪水調整を行うということと新規の取水を可能にするということです。これによって奈良県・和歌山県・和歌山市・橋本市が新たな水源を確保できることになってございます。あわせて下流への河川環境の保全等のための流量を確保するという目的、さらには大滝発電所において新たに発電を可能にするという様々な目的をもったダムでございます。これも平成14年度完成を目標に、今、急ピッチで工事が進められている状況でございます。 ( projector.No.18「紀伊丹生川ダム」)これは紀伊丹生川ダムでございます。紀伊丹生川に造る計画をしているダムでございます。これはまだ計画時点ですけれども、調査を進めている段階でございます。計画高水流量1,500m3/sのうち1,380m3/sの洪水調節を行うということと、河川環境の保全のための流量を確保する、大阪府等に対して新たな水道用水の取水を可能にするという目的を持ったダムでございます。 ( projector.No.19「内川浄化事業」)これは和歌山市内の下流部の話になりますけれども、内川の浄化事業をやっております。内川と申しますのは、和歌山市内を流れる河川の総称として使っておりますが、ご案内のように、和歌山市、和歌山県はかなり下水道の整備率が低いものですから市内を流れる河川の水質が非常に悪うございます。そうした水質汚濁を解消するということで、国、県、市が連携しながら浄化用水を導入して、紀の川のきれいな水を市内を流れる水質のよろしくない川に流してやるという事業でございます。これは有本揚排水機場を造りまして、紀の川から有本川と大門川の2つの川に水を流し込んでやるという事業でございます。現在、有本川の方に約1年前から24時間、水を流し込むという状況になっております。大門川の方は、今、計画を進めている状況でございます。 ( projector.No.20「水辺の楽校プロジェクト」)これは水辺の楽校プロジェクトですが、奈良県の五條市で進めているものでございます。河川にはいろいろな機能があると言われておりますが、もっと河川に近づいて様々な活動を行っていただきたいということで水辺の楽校プロジェクトというのを行っています。絵が見にくくて申し訳ないのですけれども、河川の護岸を今のものより緩傾斜にして人が容易に水辺に近づけるような工夫をする、あるいはそれとあわせて河川の高水敷を公園的な整備を行うということで、多くの人が河川空間で様々な活動ができるような取り組みを自治体と一緒になって計画を作り進めているものでございます。 ( projector.No.21「魚がのぼりやすい川づくり」)魚がのぼりやすい川づくりという取り組みも行っております。魚が遡上するにあたって、堰ですとか、この写真もそうなのですが、橋を架けたときの橋脚まわりに洗掘されないようにブロックを並べたりしますけれども、こういうものが魚が遡上する際の阻害要因になっている箇所が多くございます。そういうところで魚道を造ることを行ってきています。これは岩出橋の写真ですが、そこのブロックを一部、撤去して魚道を造るという事業を行っております。 ( projector.No.22「桜づつみモデル事業」)これは桜づつみモデル事業でございます。「堤防に桜を植えたい」という声は非常に多いのですけれども、堤防は桜を直接、植えたりすると、堤防としての機能を阻害されますので、堤防にさらに土を余分に盛りまして、これで言えば川の外側のほう(堤内側)になるのですが、そこに桜を植えていただくという事業でございます。これも紀の川では橋本市、那賀町、粉河町でこういった事業を行っています。まだ桜が咲くような状況にまで至っていないので、写真としては絵になりにくいのですけれども、地域の人に親しまれる空間を作るというような取り組みも行っているところでございます。 ( projector.No.23「人にやさしい地域づくり」)最後になります。人にやさしい地域づくりというキャッチフレーズのもとに、多くの人に川を利用していただけるようなことができないものかと考えておりまして、これはイメージパースですので現実にできるものとは全く違う絵になってしまっておりますが、人が集まりやすい場所、具体的に紀の川で考えておりますのは、かつらぎ町背の山というところ、これは道路の事業になりますけれども、道の駅という施設があります。休憩施設なのですけれども、ここには多くのドライバーの方、あるいは行楽の行き帰りの際の休憩場所として多くの人が集まってくるものですから、すぐそばの堤防に上がっていただければ紀の川が一望でき、また高水敷にも下りられるという形で整備をしていきたいと考えております。 その際には、例えば、車いすの方でも利用できるように、バリアフリーの概念で水に近づきやすい工夫をするということも考えながら、水辺空間を整備していくという取り組みでございます。先日、障害を持った方々に実際にスロープを下りていただいたりして、どういった設計にすればいちばん使いやすいのかという意見を伺いながら設計をして計画を作っていくという取り組みで進めているものでございます。 以上、限られた時間ですので簡単な紹介になりましたけれども、いろいろな観点から紀の川で取り組んでいる様々な事業、あるいは自然環境等の説明をさせていただきました。以上です。 |
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○ | 中川議長 |
どうもありがとうございました。ただいま近畿地方整備局和歌山工事事務所から、紀の川の自然特性の現況に対してどのような整備事業が行われているか、あるいはこれからの将来計画について現時点のものをお話し願いました。流域委員会が設定されまして、事業の整備計画について具体的にいろいろなご意見をお伺いして、そういうものを強化しながらどう取り入れていくかというところに主要な役割があるということでございます。委員の先生方、何かご質問等ございますか。 |